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確かな技術で第一線を走り続ける美容師銀座の美容院『Beauty&Care CALON 銀座』西海洋さんインタビュー

確かな技術で第一線を走り続ける美容師
2019.03.28
Raku Lab通信編集部

今回は銀座にあるヘアサロンのCALONで代表取締役を務める西海洋さんがビューティストに登場してくれました! 西海さんは日本でも有数のカラリストとして有名で、サロン経営やサロンワーク意外にも、ヘアカラーのセミナーやヘアショーを全国で展開しています。 美容業界の最前線を今尚現役で突き進む西海さんに、美容師を志した原点からこれからの美容業界についてお話を伺いました。

CONTENTS目次

積極的ではなかった就職活動

-西海さんはいつ頃から美容師を職業にしようと考えていましたか?

実は学生の頃は美容師になろうって思っていなかったんですよ。 ただ実家が美容院だったので、母親から「美容師にならなくてもいいから、美容学校だけには通って、美容師免許を取っておきなさい」と言われたので学校に通い始めたんです。 実家が美容院だった子どもは、ほとんどがそんな感じで美容師免許を取っていたんじゃないかなと思います。

私は中学生の頃から病弱で、普通の仕事に就ける感じでもなかったので、私の場合はそういう点も心配して、両親は美容学校に行って欲しいと思ったんでしょう。 それで美容学校に行ったはいいんですが、当時の美容学校は1年制で入学したと思ったら、そのタイミングで就職活動をしないと間に合わないということに入学した時に気づいたんです(笑)。 ですが当時の私は、美容師とは違う仕事に就きたいと思っていたので、就職活動などは積極的にやっていませんでしたね。

-それは意外でした。西海さんは昔から美容師として活躍されていたと思っていました。

先ほど美容師と違う仕事をしたいと言いましたが、学生時代に思っていただけで実は就職活動をするタイミングを逃して、2年間くらいはぼーっとした生活を送っていたんです。 当時一緒に遊んでいた友だちも美容学生ではなく、四年生の大学に通っている人たちばかりでした。 その友人たちと一緒に、ディスコなどに行ってたくさん遊んでいたんです。 ですが、その友人たちも大学卒業を控えて、徐々に就職が決まっていく人たちが増えてきました。

そうなると自分だけ置いてけぼりになった気がしたんですよね。 大学生の友人だけではなく、美容院へ就職をした美容学校の同級生もどんどん店長になったりしていましたし。

-美容院へ就職して約2年で店長になっていたんですか?

当時の美容院は、2年くらい働いたいら普通に店長とかになれたんですよ。 そうやって周りの友人たちはみんな前に向かって進んでいるのに、自分だけ置いてけぼりになっているなと感じていて、私が卒業した美容専門学校へ先のことを相談しに行ったら、その専門学校で教員になってみないかと誘われたんです。

そこで3年間働いていたんですが、どんどんと物足りなくなってきました。 仕事を辞めるタイミングで一度実家に帰ろうかとも考えたんですが、子どもの頃から憧れていたロンドンへ行ってみようとそのとき突発的に思ったんです。

ロンドンでの出会い

-突発的に海外に行こうと思ったのは凄いですね。ロンドンへは何を目的にして行ったんですか?

ロンドンでは最初に英語学校に三ヶ月通い、そのあとは故ヴィダル・サスーン氏が創設した、サスーンアカデミーという美容学校に通いました。

サスーンアカデミーに入学して、一週間くらい経ったくらいでしょうか、当時先生だった方に「植村って知ってる?」と声をかけられたんです。 そこで「知らない」と答えたら、「じゃあ紹介してあげるよ」と植村と会わせてくれたんです。

そのときに紹介してくれたのが、その後日本で一緒にサロンを立ち上げる植村隆博との出会いでした。 最初はお互いに探り合う感じでしたが、徐々にお互いに映画好きだったりと共通の話題ができて、気付いたら意気投合して朝方まで話しをし続けていたんです。 その会話の中で植村が「日本の美容業界をひっくり返したいんだ。一緒にやろう」と熱く語ってきたんです。

それまでは言い方は悪いかもしれませんが、私は美容に対して適当に向き合ってたんです。 しかし、明確な目標ができて始めて美容にどっぷりと浸かり始めました。

-ロンドンに行ってすぐに運命の出会いがあったんですね!

そうなんです。 当時私は25歳で植村は23歳だったんですが、時間があれば二人で会っては、10年後の自分たちのストーリーを考えていました。 そのときは、作品を出し続けるアーティスト集団みたいになりたいということを話し合っていましたね。

そして私はサスーンアカデミーを卒業して、そのままロンドンのサロンで美容師として働くことになりました。 日本でサロンを展開するのは私が29歳の頃だったんですが、実は植村とはイギリス時代から一緒に働いていたんです。 そのロンドンのサロンに日本人の仲間が徐々に増えてきて、そろそろ日本でサロンやろうということになり、私が先行して日本に戻ってDADAを原宿のキャットストリートにオープンさせることになったんです。

日本での美容室オープンから爆発的人気店になるまで

-日本でのオープンは順調に進みましたか?

いや、それが全然うまくいきませんでした。 冷静に考えるとロンドンから帰国したばかりで、日本の社会を全然知らないやつが来ても開業資金を貸してくれる金融機関なんてあるわけがなかったんですよね。 なので、それこそ端から端まで開業資金を借りれないかと金融機関を回り続けました。 そしてなんとか開業資金を融資してくれるところも見つかって、ようやく美容院をオープンさせるというスタートラインに立つことができました。

-美容院をオープンさせるのにそんな大変な思いをされてたんですね! オープンできてからはいかがでしたか?

オープンさせてから一年間は本当に大変でした。 最初の頃はお客様が全然来ないで、美容院を維持するだけで精一杯な状態で、給料を支払うことができないくらい追い込まれていたんです。

ですが、知り合いの美容師から外国人のお客様だけど担当させてもらったり、ファッション誌などの編集長さんや芸能人をお客様として連れてきてくれたりしてくれたりと、周りの助けがあってなんとかやっていくことができました。 そしてその時の紹介が縁となり、DADAを雑誌で取り上げたりしてくれたことで、集客に関しては順調に伸び始めました。

-DADAさんはオープン当初から人気のある美容院だと思っていましたが、そんな大変な時期があって乗り越えてきたんですね。

そんな地獄のような一年を乗り越えたときに、植村がロンドンから帰ってきてDADAを一緒にやることになりました。 そのタイミングで、DADAとしては始めて大きなホールを借りてヘアショーをやることにしたんです。

たくさんの美容学校の先生や友人に声をかけて、最終的に400人くらいのお客様に来場してもらうことができました。 このイベントを成功させたことで、DADAは美容業界で知名度を一気に上げることになったんです。

雑誌にも多く取り上げられるようにもなって、お客様がたくさんお越し下さったこともあり、2年目で23坪しかない美容院で1千万くらいの売上を出していたんです。 そして3年目手前くらいで、60坪くらいの新店舗をオープンさせることができました。

-最初の耐える時期を乗り越えて、一気に爆発した感じですね!

DADAが人気になった理由のひとつに、ブリーチができる美容院だったというのが挙げられます。 当時は原宿でサイバー系と言われる、派手なヘアスタイルをするファッションの若者が多くいて、その若者たちがブリーチをしに来店してくれたんです。

今でこそブリーチを施術できる美容院は多いですが、当時はほとんどの美容院でブリーチをメニュー化していなかったんです。 ですが、そこでちょっとした誤算があったといえば、ストリート系のギャル雑誌にスタイルが載ったことで、ギャルがたくさん来店してくれるようになったんです。 我々のコンセプトと離れている客層ではあったので当時はとても困惑したことを覚えています(笑) 。

-当時のDADAの勢いは本当に凄くて、どの雑誌を見てもDADAの作品が掲載されていましたことを記憶しています。

ありがたいことに、雑誌などの始めとするメディアにもずっと作品を評価されて続けてきました。 そうなるようにと、私たちも全力でガムシャラに駆け抜けた結果だと思っています。

そしてDADAは美容業界を第一線で駆け抜けていましたが、オープンして11年目に私はDADAを抜けることにしたんです。 ちょうど40歳のときで、美容師という仕事に疲れてしまったんです。 これから美容師としてフロアに立つ予定もなかったので、当時のお客様に退職をする旨と、謝罪のハガキをお送りすることにしました。 そのときに改めて顧客名簿を数えてみると、3千人もの顧客名簿があったんです。 その数にビックリしましたが、本当にお客様一人ひとりに感謝の気持ちしかありませんでした。

駆け抜けた若い頃と、お客様一人ひとりと向き合ってより美容を楽しめている今

-DADAを退職して、その後はどのような活動をされていたのでしょうか?

美容師として最前線に立つことは考えていませんでしたが、退職を機に色々なメーカーさんたちにお声がけ頂いて、商品開発のお手伝いやセミナーを開いたりしていました。

そのような活動を5年くらい続けていましたが、その間も私のアシスタントをしてくれていて、現在店長を務めてくれている真里亜たちのためにも、新しい美容院をやらないとなと考えるようになりました。

-それが現在のCALONになるわけですね。

CALONは本当にイチからスタートしたので時間はかかりましたが、オープンして約7年経ってようやく形になってきたかなと感じています。

オープン当初の段階では、スタッフの育成から全てゼロからスタートになります。 そのときに、私が伝えていたのが「美容師という仕事は、頑張ればそれだけ結果として出てくる」というものでした。 実際に私がガムシャラにやり続けて、成功体験をしてきているのでそれをそのまま伝えるのですが、スタッフたちはその成功体験を経験をしたことも見たこともないためあまり腹落ちしないんです。 なので根気強く、丁寧にその思いを伝えていくことが大切だと感じています。

-ありがとうございます。西海さんは一度美容師という仕事を辞める決断をされて、今再び美容師として最前線に立っていますが、当時と今とでは心境に変化などあるのでしょうか。

今の年齢は50歳ですが、40歳の時の自分よりも美容をより楽しむことができているんです。 当時は本当に必死に働いていましたが、今はお客様一人ひとりとしっかり向き合って、キレイになっていく姿を見ることができているんです。

美容院に来た人は、髪の毛も伸びてしまっていて、悪く言ってしまうとキレイではない状態で来店される方がほとんどです。 ですが、そういう方々を自分の手でキレイにしてあげることができる。 そしてお客様から「キレイにしてくれてありがとう」という言葉を頂くことができる。

普通に考えて他の職業で、お金を頂いて心からの「ありがとう」を言ってもらえる仕事ってそうそうないと思うんです。 お客様としっかりと向き合えている今だからこそ、改めて美容師という仕事は素晴らしいなと感じるようになりました。

これから美容師になりたいと思っている人へ

CALONの西海さん

-では最後に、これから美容師になりたいと思っている方々にメッセージをお願いします。

先ほどもお伝えしましたが、美容師という仕事は頑張ったら頑張っただけ結果として分かりやすく出てくる職業です。 例えば高学歴の4年生大学を卒業して、有名大企業に勤めているいわゆるエリートに、美容師という仕事は収入面で勝つことができる可能性を秘めています。

ですが、それを実現するためには、とにかく頑張るしかありません。 美容の技術向上はもちろんですが、お客様とのコミュニケーションを取るためにボキャブラリーを増やす必要もあります。 なので、本をたくさん読むことをオススメします。 知識をたくさん蓄えることで、お客様の質問にも的確に応えることができますし、それが信頼に繋がるからです。

また、就職するときは、しっかりと教育体制が整っている美容院を選ぶようにしてください。 最近では短期間でスタイリストデビューさせる美容院も多くありますが、10年20年先のことを考えると、経験年数に技術力が追いつかなくなり、お客様の要望にお応えすることが難しくなることでしょう。 目先のお給料をあげるのではなく、しっかりと将来のことを考えてまずは技術と知識をしっかりと蓄えることが大切だと思います。

SALON INFOサロン情報

Beauty&Care CALON 銀座

銀座の大人女性から絶大な支持!!カラープロフェッショナルが作るヘアカラーで、 スタイル提案と同じくヘアケアとヘアカラーにも自信を持つサロン。
本来の艶感を引き出し、美しさを保つケアに力を入れています。

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