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努力と工夫で人気スタイリストに!表参道・新宿の美容院『Un ami』小倉太郎さんインタビュー

努力と工夫で人気スタイリストに!
2019.02.14
Raku Lab通信編集部

ファッション誌やヘアカタログへのスタイル提案や、タレント・モデルの顧客も多い人気美容室Un amiでマネージャーを務める小倉太郎さんに登場して頂きました! カリスマ美容師ブームを牽引した人気美容院で美容師のキャリアをスタートさせ、neutral、GARDENではオープニングスタッフとして活躍、そして現在はUn amiのマネージャーを務めるなど、美容師としてのキャリアを順風満帆に駆け上った印象のある小倉さん。 ですがお話を伺うことで、この成功の陰には小倉さんの努力と工夫によるものだということがわかってきました。

CONTENTS目次

美容師になるまで

-数多くのお客様に指示をされている小倉さんですが、やはり美容師になる前から美容が好きだったのですか?

いえ、美容師になりたいと思ったのは高校三年生の、進路を決めるタイミングでした。 当時は美容院ではなく、父親と一緒の理容店に行ってましたし、実は中学生からずっと建築家になりたいと思っていたんです。 なので建築業界で活躍されている方々を多く輩出している、立命館という大学に行きたいと思っていました。

ですが、高校三年生の時にテレビのニュース番組で、「東大生卒業生がバイトで生活をする時代になった」というニュースを目にしたときに、東大生ですら就職をすることができないのに、机に座るような仕事で自分が勝ちあがれるかと考えてしまったんです。 そのときに自分の中で勝てるイメージが全然湧かなかったんですよね。 なので、机に座って仕事をするのではなく、自分で作る側の人間になろうって思いました。

そこで候補に上がったのが、大工と料理人、そして美容師だったんです。 その中でも美容学校は近くにあったし、すぐに入学することもできたので美容師に決めました。 当時色々と調べる中で、美容師をしているみんなは外見もずっとかっこいいなと思ったのが最初のきっかけですね。

-周りに小倉さんのように美容師になりたいと思っていた友人はいましたか?

高校の友だちで美容師になりたいと言っていた人はいませんでしたね。 しかし中学の友だちには、すでに美容師になっている人がいたので、その友だちに色々と話を聞きに行きました。 そこでその友だちから、「美容師に向いてると思うよ」って言ってもらえたんです。 そして美容学校に入学したら、もうドップリと美容にはまってしまったんですよ。

まずファッションや髪型にすごく興味が湧きました。 そしてそういう情報を発信しているのも美容師が多く、その中でも多くの情報を発信していたのが東京の美容師だったんです。 自分がもし美容師としてテレビで情報を発信したいと思ったとき、地元の広島じゃそのチャンスは訪れないと思いました。 なので色々な雑誌を片っ端から調べて、情報発信を多くしていた東京や大阪、福岡のエリアで美容師になろうと思ったんです。 そうして、当時原宿にあった有名美容院に入社することになりました。

-美容師ブームの中で有名美容院に入社するのはとても大変だったと思いますが、合格するためにしたことなどはあるのでしょうか?

そうですね。 まず当時の倍率が約150倍くらいあって、そんな人気美容室に入社するためには、面接の前にまず自分の顔を覚えてもらうことが大切だと考えました。

顔を覚えてもらうためにはどうしたら良いか考えたんですが、やはり直接サロン見学に行って覚えてもらうことが一番だと思ったんです。 その美容院では、サロン見学をお店の外だったらいつでもしても良いということになっていましたのでサロン見学をするために、広島から15回は行きましたし、行ったら朝から晩までずっと見学させてもらっていました。 そうすると、「また来てるのかよ」と先輩美容師に声をかけてもらえるようになってくるんです。

もちろんその美容院だけではなく、帰り道に大阪へ立ち寄ってそこでも別の美容院でサロン見学をさせてもらっていました。 その交通費を捻出するだけでも大変だったので、当時はとにかくバイトを一生懸命やっていましたね。

-そういう努力があって入社することができたんですね!

無事に合格することができましたが、運もありましたね。 当時は、色々なタイプの人間を入れてみようって会社側が思っていたんです。 いわゆるキャラクター採用っていうやつですね。

私は面接で「同期の中でも一番になります!」って大風呂敷を広げるような、結構攻めたキャラクターだったんですが、そういう人間が私とは別にもう一人採用されて、別々の店舗に配属されたりしていました。 合格した新人の中にはギャルも二名合格していて、私たちと同様に別々の店舗に配属されてました。

もちろんそれだけではなく、先輩たちの本や、雑誌の記事をくまなくチェックをしていたので、誰よりも知識量が多かったというのも当時の面接官のスタッフが見てくれたのかなと思っています。

人気美容院でのスタイリストデビュー

-入社してからは、宣言通りに一番になることはできましたか?

面接に時に勇ましく宣言したものの、実際に入社してからは不器用すぎて全然テストや技術に受からなかったんです。 「次にシャンプーをクリアできなかったらクビにするぞ」とまで言われてしまうくらいです。 ちなみに、言われたテストも見事に落ちてしまったのですが(笑)。

そのことを先輩美容師に伝えたところ、「ちゃんと頑張ってるところは見てくれてるはずだから大丈夫だよ」と言ってくれたんです。 その言葉を聞いて、初めて男泣きをしてしまいました。 私はセンスがある人たちとは違い、不器用であることをしっかりと受け止めて、とにかく必死に練習しました。 朝は撮影もあったので大体五時くらいには美容院にいて、サロンワークが終わってから自分の練習という生活を繰り返してたんです。

とても大変そうに聞こえるかもしれませんが、自分の中ではそれが全然苦に感じませんでした。 先輩の撮影を見るのも勉強になりましたし、練習の全てがスタイリストになったときに全て自分の糧になると考えていたからです。

-入社して約一年くらいで、別ブランド『neutral』のオープニングメンバーとして参加されたんですよね?

現在GARDENの代表を務める加藤さんに誘って頂いて、neutralに参加することになりました。 私が当時から尊敬していた森内さんや先輩方がneutralに参加することが決まっていて、どうしても参加したいと思っていたときに声を声を掛けてもらって、涙が出るくらい嬉しかったことを覚えています。

-neutralになったことで今までと違ったことはありましたか?

サロンワーク自体は受け継いでいるので大きな違いはありませんでしたが、モデルハントをしているときにブランドが違うということで厳しさがあることに気付きました。 以前だとモデルハントをしているときは、高確率で話を聞いてくれたんですが、「neutralという美容院の者です」と言っても誰も足を止めてくれないんです。 このときは本当に悔しい思いをしたし、neutralが人気サロンにならないと東京に来たことが無駄になってしまうと思いました。

先輩たちも同じく悔しい思いをしていて、頑張ってくれたことで私がスタイリストデビューする頃にはneutralは人気店になることができました。

-スタイリストデビューしてすぐに今のような人気美容師になったのでしょうか?

そんなことは全然ありませんでした。 150から200人くらいのカットモデルが私の顧客にいましたが、スタイリスト料金になったら来なくなってしまった方も多くいました。 当時の私は技術があれば、必然的にファンは増えていくと思っていたんです。 しかし、お客さんが離れて行ってしまったことで、neutralという看板がなかったら自分自身は何もできないってことに気付いたんです。

なので段階を踏んで自分を知ってもらおうと考えたんです。 まずは自分の足を使ってモデルハントをたくさんして、多くのモデルさんの情報を知っている状況にしました。 そうして、私がハントしたモデルで先輩スタイリストが雑誌の撮影をすることになったら、必ず私も撮影に同行をさせてもらうようにしたんです。

撮影現場にはブックを必ず持っていくようにして、編集の方たちに見てもらってアドバイスをたくさんしてもらうようにしました。 そういうことを続けていたら編集の方が「小倉くん頑張ってるから次撮影してみる」って言ってくれるようになったんです。 そうして徐々にメーカーさんの撮影やヘアショー、トークショーなどに呼ばれることも多くなり、それと比例して数字も伸びてきたんです。

Un ami立ち上げ/スタッフが辞めたいと思わないサロン作り

-なるほど! まずは自分を知ってもらうという工夫が大切だったんですね。その後neutralはGARDENとなり、その後Un amiにオープニングスタッフとして小倉さんは参加することになるんですよね?

GARDENからUn amiに移る前はちょうど30歳くらいで、実は独立を考えていたんです。 当時GARDENでは店長をしていて、これからサロンを引っ張って行ってほしいと期待をされていましたが、自分のサロンを立ち上げてみたいと考えていたんです。

そのときに森内さんが新しいサロンを立ち上げるということになりました。 私はその話を聞いたときに、neutralと一緒だと思ったんです。 当時は先輩たちが頑張ってくれたおかげで、neutralというブランドを確立することができましたが、それを今度は自分が作っていける側になれると思ったんです。

-Un amiをどういう美容院にしようと思っていたのでしょうか?

当時の手帳には「10年経ったらUn amiをこういうサロンにしたい!」という内容のメモを細かく書いていました。 その中に「2年で有名サロンにする」「雑誌などメディア露出をするようにする」「スタッフ全員を300万円プライヤーにする」などの目標が書かれていて、それを実現するためにスタッフ全員で頑張っています。

あと当時に思っていたのが、「スタッフが辞めたいと思わないサロン作りをする」ということです。 GARDENで店長をしているときは、コミュニケーションが浅くなることで自分の考えがスタッフに行き渡らず、辞めたいと思わせてしまったことがありました。 これを繰り返したくないと思ったし、出会った人たちはお客様だけではなく、スタッフ含めみんなを幸せにするという思いでやっています。

そしてスタッフ全員に自分が感じたハードルを伝えていきたいし、それを越えていける環境にしたいし、新しいチャレンジをすることができるようにしたいと考えています。 例えばUn amiではクラウドファンディングを利用して、オリジナルのシャンプーを開発したり、Un amiで美容師をしながら、まつ毛エクステサロンを経営できるようにすることもできたらと考えています。

昔は美容師というと独立がゴールになっていましたが、今では美容院に勤めながら新しいチャレンジをすることがたくさんできるようになっています。 Un amiでは、スタッフのチャレンジを応援できる環境作りにしていきたいと考えています。

若い美容師へのメッセージ

Un amiの小倉さん

-ありがとうございます。それではこれから美容師になりたいと思っている人や、新人の美容師にメッセージをお願いします。

昔は街に出て直接モデルハントしないと出会うことができませんでしたが、今ではSNSを含めてたくさんのサービスがあり、ファンを作ることができます。 これって凄いことだなと思っていて、想像力さえ広げたらとても大きなことができると思うんです。 美容師という仕事はアーティストみたいなものだし、『自分が売れるためにはどうしたら良いか』これは自分の努力と工夫次第で実現する確立が高くなります。 自分の強みをしっかりと作って、それを発信し続けることで良い結果につながってくると思います。

SALON INFOサロン情報

Un ami(アンアミ)

フランス語で『仲間』を意味するUn amiは、人と人の間柄を大事にする暖かいサロン。
雑誌やメディアなどで活躍中の、森内雅樹率いるスタッフ一同が、お客様へ最高のサービスと最高の技術、そして居心地の良い空間をご提供します。

  • この記事の情報は、掲載開始日時点のものとなります。掲載されている記事内容及び店舗情報は予告なく変更されることがあります。ご了承下さい。
  • 掲載サロンは、記事掲載後、移転、閉店などされる可能性があります。掲載ネイル画像は予告なく削除される可能性があります。

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